世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

家で本を読むときは、ソファに座るか、ベッドに寝転がるかしながら読むことが多い。
で、枕元には赤ペンが置いてあるのだが、本を読んでいて気になる表現や、気に入った箇所があった場合は、本に直接しるしをつけるようにしている。

ということで最近は「村上春樹再読週間」ということで、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を再読した際、どんな箇所にしるしを付けたのか振り返ってみる・・。

「たつせる?」と私は自分に言い聞かせるように口に出して発音してみた。「せら?」
「せら」と彼女は確信を持って繰り返した。
それはなんだかトルコ語のように響いたが、問題は私がトルコ語を一度も耳にしたことがないという点にあった。だからたぶんそれはトルコ語ではないのだろう。
まず最初それは
Even-through-be-shopped-degreed-well
と聞こえたような気がしたが、実際に口にしてみると、それは靴音の響きとはまるで違っていることがわかった。より正確に表現すると、
Efgven-gthouv-bge-shpevg-egvele-wgevl
という風になった。
まるでフィンランド語みたいだったが、残念ながら、フィンランド語について私はなにひとつ知らなかった。ことば自体の印象からすると「農夫は道で年老いた悪魔に出会った」といったような感じがするが、それはあくまで印象にすぎない。根拠のようなものは何も無い。
主人が自分の手でシャツにアイロンをかける昔ながらの洗濯屋なのだ。私はなんとなくその主人に好感を持った。そういう洗濯屋ならたぶんシャツの裾に預かり番号をホッチキスでとめたりはしないだろう。私はそれが嫌でシャツをクリーニングに出さないのだ。
洋菓子屋の店員はもみの木のように背の高い女の子で、紐の結び方がひどく下手だった。私は背が高くて手先の器用な女の子に一度もめぐりあったことがない。
そして私はケーキを食べながらチャールズ・ブロンソンが頭のはげた大男と殴りあう場面を見た。観客の大多数は大男の方が勝つと予想していたが、私は何年か前に一度その映画を見ていたので、チャールズ・ブロンソンが勝つことを確信していた。
よくわからない、そうかもしれない、と私が頭の中でつぶやいていると、ウェイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き、グラスにそそいでくれた。

この作品は「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの世界での物語が交互にかかれていて、話が進むにつれて両方の話がなんとなく近づいたりする、そんな小説なんだけど、今回チェックした箇所をみてみると、ほとんどが「ハードボイルド・ワンダーランド」の話のところみたいだ。主人公の「俺」が地底に潜ったり、部屋をあらされたり、料理を作ったり、金物屋で爪切りを買ったり、といった話なのだが、何気ない日常的な風景の描写が素敵過ぎる。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)