ラーメンマン、ファルコン。

今日もゲストをお招きしております。
東京在住、頭痛もちヘビースモーカーで音楽家志望のGUCCIさんです。

こんにちは。GUCCIです。いま8万円の借金があります。

今日は私が鑑別所にいたころの話を書きます。

その前に私が鑑別所に入った経緯からお伝えしましょう。あれは高校2年の6月。深夜、当時私が付き合っていた22歳の女性とその友人4人とで公園で遊んでいました。でその内の女の子2人がトイレに行ったのですが、しばらくしてすごい剣幕で帰ってきました。「花火かけられた!」というのです。女3人は怒り狂って、その花火をかけたという犯人のもとに向かうというのです。私たち男3人はしかたなく、彼女らのあとについていきました。花火をかけたのは5人組の大学生でした。しかし、私たちと目が合ったとたん彼らは急に車で逃げ出しました。女の子の一人がそのうちの一人をなんとか捕まえ、他の犯人たちを呼び戻させました。すると大学生は観念したのか謝ってきたのですが、私の彼女が「土下座せんかーい!」と叫んだのです。私は感じました。「こいつヤンキーじゃん!」そのとき初めて気づいたのです。あとはもう、殴る蹴るの暴行を加えてるのを、指をくわえて見ていることしか出来ませんでした。殴られた一人が、どうも鼻の骨が折れたらしく、私はティッシュを買いに行きました。そして明け方、彼女が「もう許してやるから、明日慰謝料として10万円もってこい」と言ったのです。私はそんな金いらねーよと思ったのですが、彼女(と、みんな)も興奮気味で私がそんなことをいったら逆に私がやられそうだったので言うのをやめました。その日は何事もなくすぎ、そして運命の日。10万円の受け渡しの場所に向かった私たちに待ち受けていたものは、数台のパトカーと十数人の警察官でした。私たちは、なすすべもなく警察に取り押さえられ警察署へ連れて行かれました。私は何もしていないので、すぐ帰れるだろうと安易な考えをしていたのですが、警察官から、「こりゃー鑑別所行きだな」といわれ、私は目が飛び出るほど驚きました。私は学生だったのでこりゃあ学校やめさせられるなと思っていました。数日後、私たち6人中4人は未成年だったので鑑別所へ、22歳の彼女の行方は未だにわかりません。

鑑別所での生活は私にとって、案外暮らしやすいところでした。起床6時、消灯は9時でしたが、私は早寝早起きは大好きだったので、なんの苦痛もありませんでした。ただ苦痛だったといえば警察官がきて、事件のことを詳しく聞いてくるのですが、その相手がやばい。特徴はマイクハガー(ファイナルファイト)でかなりいかつくて、息が臭かったです。私が真剣に答えるのに彼は挑発的な態度をとり、かといって反撃できるほど私は強くなく、素直に萎縮してしまうのです。あと一つ悲しいことがあったといえば、やっぱり家族との面会ですかね。姉と母親が面会に来てくれたのですが、顔を見た瞬間に私は泣き出してしまいました。お父さんが来たときは泣きませんでした。鑑別所で知り合いになった人たちのことをお話しましょう。やっぱりいろんな人が居ます。兄弟で犯罪をした人が居たのですが、何をしたの?と私が気さくに質問すると、「え、拉致監禁」と平然と語るのです。これまた2人組みで彼らにも質問したところ、学校に乗り込んでムカつく奴のアバラを折ってやった、と答えました。彼らと一緒に風呂に入る時間があるのですが、彼らに、ここから出たら遊ぼうぜ、と誘われましたが、絶対に行くもんかと思いました。鑑別所の普段の生活は、貼り絵や、読書、たまにはIQテストなどもやらされました。私のIQは110程度でした。一般的な数値ですが私は満足でした。貼り絵ですが、私は「アライグマラスカル」や切手のデザインの貼り絵を作りました。所員の方からも意外と好評で、私はちょっとその道に進もうかと思ったほどです。観察員の人が来たとき私は事件の事情を詳しく説明しました。その人はとてもいい人だったのです。私が何もしていないということ、学校に戻してあげるよと言われたこと、キミは逆に被害者だと言われたこと、ああ、僕をこんなに理解してくれる人がある人がいるということに小さな感動を覚えました。ただ、法律的には犯人グループに一緒にいたということで、同じ罰を受けなければならないということです。ちなみに恐喝および障害でつかまりました。

こんな私を励ましてくれたのは友人J君からの手紙でした。当時私はバンドをやっておりJ君はベーシストだったのですが、、私が捕まってしまったためコンテストに出る予定だったのをキャンセルした、という内容の手紙でした。私がいないとバンドが成り立たないから、早く出てきてまた一緒に演ろうと、こんな私を見捨てないでいてくれた、すばらしい友人でした。

7月3日、ついに裁判の日が来ました。普通は保護観察がつくのですが、観察員の方のおかげで、それを免れることができました。

そして私は平穏な日々を取り戻しました。捕まった他の友人たちの行方は知りません。いまごろ何をしているでしょうか。

私にとって大切な思い出です。

チャンチャン